VRサイクリング、オホーツク街道 5日目。オホーツク観光の中心エリア、網走、原生花園、さらに知床の入口へと進むの巻。能取岬をスタートして、海岸沿いに南東へ進むと網走湾が開け、湾のかなたには知床連峰が連なる。その湾沿いに進むとまもなくオホーツクの中心都市網走。いくつか市街のポイントを巡った後網走湾岸をさらに東へ行くと右手に藻琴湖さらに進むと濤沸湖が広がり、左手にはオホーツク海網走湾が弧を描いていたのが、小清水原生花園の土手に変わってくる。濤沸湖の先で内陸へ入り、「天へ続く道」と称される28kmほど続く畑と牧草地の中の直線道路を東へひた走り、途中でちょっと斜里市街へ寄り道するが、また直線道路に戻り、直線道路が見渡せる絶景の丘の眺めを堪能した後、そのちょっと先の斜里町峰浜の「天へ続く道」の東端をゴールとする74kmの行程。目の保養としては後半の網走湾と原生花園や濤沸湖を望む道や、どこまでも延びる「天へ続く道」の茫漠とした開放感が素晴らしいが、ここではオホーツク街道の締めとして、網走で通ったモヨロ貝塚の遺跡を遺したオホーツク人とオホーツク文化に思いを馳せてみたい。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのその名も「オホーツク街道」によると、北海道の原住民はアイヌだけでなくシベリアから渡ってきた固有のオホーツク文化を備えたオホーツク人がオホーツク沿岸に長い期間居住していた。目から鱗だったのは、アイヌとは縄文人の直系でいわば北海道だけでなく日本の原住民の子孫。農耕文化と共に大陸から入りこできた弥生人に追われて最終的に北海道へ追い出された縄文人が狩猟採集文化を維持したまま続縄文時代、擦文時代を経てアイヌ人になったということらしい。そしてオホーツク沿岸という場所は彼ら狩猟採集を主とする民には非常に理想的な自然環境であるという。海には豊富な魚介類、川にはサケマスが上り、流氷に乗って海獣がやってくるし、山には熊や鹿もいる。この地に多い海跡湖は海の魚だけでなく水鳥も呼び込んでいる。この環境下で数千年の時を過ごし、後にアイヌ人となる日本古来の縄文人と外来のオホーツク人が小競り合いをしつつも長年の間には混血が進み、それがさらに中国・朝鮮からやってきた弥生人と小競り合いしつつ混血することにより現代の日本人ができあがったという。よってこのオホーツクの自然環境が日本人の成り立ちに影響を与えているということになる。なかなか興味深い話であるが、このVRの旅で特に感じるものがあった。次回は世界遺産知床へ進む。
2023/11/16 オホーツク街道 5日目 能取岬〜網走〜斜里
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