VRサイクリング 今回から江戸庶民の寺社の参詣と巡礼の道をテーマとしてシリーズ化してみたいと思う。第1回目としては鎌倉まで来たついでに江ノ島詣とその参詣道を辿ってみる。辿る道筋はちょっと複雑である。まずは前回ルートから江ノ島へ渡り江ノ島の弁財天信仰の対象となる3つの神社を巡り、そこから江戸から江ノ島へのアクセスとなる江ノ島道を逆に辿り東海道との分岐点となる藤沢宿まで進む。次に鵠沼古道を辿って藤沢宿から江ノ島の西側の鵠沼海岸へ戻った後、そこから辻堂古道で辻堂の先まで行きさらに大山街道田村通りに入って伊勢原を越えて大山へ向かうトータル38kmの行程。前半は江戸から江ノ島詣の道筋、後半は大山詣と江ノ島詣をまとめて巡礼する場合の大山と江ノ島の連絡道となる。実際江戸時代は箱根を越えずにカジュアルに行える参詣として大山詣と江ノ島詣は江戸庶民に人気でそれをまとめてやっつけるコースの利用も多かったようだ。歴史的には平安時代末期源頼朝が弁財天を江ノ島に勧請したのが江ノ島弁財天信仰の始まりとされている。鎌倉時代には本宮(現奥津宮)、上之宮(現中津宮)、下之宮(現辺津宮)の3社が確立し、それぞれ個別の弁財天を祀り勢力争いを繰り広げていたらしい。その結果江ノ島の弁財天は日本三大弁財天の1つに数えられ、時代の権力者から庶民に至るまでの信仰が広まっていった。江戸時代には御師と呼ばれるプロモータが各地で旅行社よろしく江ノ島詣ツアーを仕立てて自分の経営する旅籠に宿泊させるという観光業を展開しその暗躍と共に江ノ島詣が流行した。江ノ島は数回訪れたはずだが肝心の3つもある江島神社の参拝を行った記憶がない。現代の訪問者は美味しい海鮮料理を食べ、名物を食べ歩きすることをメインに景色を愛でてついでに1社だけ参拝して帰る人が多いかもしれないが、歴史を認識した上で3社と関連する史跡を中心に再度足を運んでみたいと思った。さて大山まで行ったが大山詣については次回。
2023/1/31 江ノ島道・鵠沼古道・辻堂古道・大山街道1日目
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