VRサイクリング、平戸街道4日目。前回まで平戸街道の江迎筋を進みゴールとして平戸島に到達したが、そこから(バーチャルに)フェリーで本土側の田平港に渡り、そこからスタートして今度は平戸街道の御厨筋へと進む。ということで本日は田平港のある日の浦宿をスタートして御厨宿を経て松浦市街に位置する志佐宿までの27kmの行程。御厨筋は色々調べたがルートの情報が少なく、街道が通過するポイントとしてプロットされているいくつかの地点の情報を元に、今まで培った経験による勘で想定される旧道ルートを予測した上で、それを最大限通過するストリートビュー適用ルートを構成した。(田舎道なのでそもそもストリートビュー適用できるルートが限られている)その結果かなりジグザグなルートになってしまったが、街道のポイントは押さえられていると思う。本日のルートも海岸段丘の上のアップダウンが多くウネウネ曲がりくねった道、それも人家の少ない田舎道を進んでゆく。時々海が見え隠れするサイクリングには気分の良い道だ。ゴールの志佐宿のある松浦市街はそんなルートで唯一まとまった町である。
中世にこの地域(佐世保から平戸、伊万里、唐津、壱岐まで)を支配した松浦党を調べてみると、複雑な海岸線と大陸に一番近い地域という特性によって非常にユニークな歴史が展開されていて興味深い。基本的には海岸線に沿って優れた水軍が組織され、源平合戦から始まり、元寇、秀吉の朝鮮出兵などに巻き込まれ、倭寇と呼ばれる海賊として恐れられ、一方で中国・朝鮮、さらにはポルトガル・オランダとの交易で栄えた。その間、一族がどんどん分派して地域のあちこちを拠点に一族内で絶え間なく抗争し、最終的には平戸貿易で栄えた平戸松浦氏が江戸時代に平戸藩として地域全体の支配するに至るまで続いた。志佐宿のある松浦市はそんな松浦党の一派志佐氏の本拠地のあった場所。