VRサイクリング。今日は長崎稲佐山を起点に西彼杵半島を縦断して西海橋を渡り佐世保に近い早岐(はいき)まで、なんと93kmの長距離ルートを一気に進む。(リアルには5日に分けて漕ぎ進めたのであるが)今後の目論見としては、平戸街道を早岐宿から平戸へ向けて進む予定であるが、早岐までの西彼杵半島ルートは特に古い街道筋があるわけではなくまた知られた名所もないのでワープ感覚で一気に進めてみたわけである。それが走ってみると思いがけずいいルートだった。まず海岸の風景が素晴らしい。半島の西海岸は東シナ海の外海に面していて集落のある入江と切り立った崖が交互に続く伊豆のような海岸、一方半島の東海岸は大村湾の内海に面していて湖のように穏やかな海に入り組んだリアス式海岸で、東西に狭い半島であるため、あちこちでバリエーションに富んだ海岸風景を望むことができる。歴史的には、戦国時代に当初ポルトガル人が居留した平戸から追い出されて最終的に長崎に落ち着くまでに西彼杵半島の北部の入江横瀬浦に2年居留し、焼き討ちにあって逃げ出した後、半島を海岸沿いに南下して一時的に長崎の隣の入江である福田浦に居留するが、より風避けに効果のある深い入江である長崎を発見してこちらに移動することになる。この時点では長崎は寂れた漁師町に過ぎなかったので、後々江戸時代になるとポルトガル人がオランダ人と中国人にとって代わることになるが、この経緯が後世の興隆のきっかけになったことは間違いない。この途中の居留地である福田浦と横瀬浦を通ってみた。これらの場所には痕跡はほぼ残されていないが、地形が及ぼした影響については想像することができた。途中でオランダ村も通ったがむしろこの地域の歴史を紐解くとポルトガル村にした方が良かったのではなかろうか。西海橋は福岡に住んでいた子供の頃父に連れてきてもらった思い出の場所。戦後に初めて日本の橋梁技術が結実した結果として昭和30年に竣工したこの橋の成功が、その後の国内の数々の架橋プロジェクトの発端となったようだ。